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「罪悪感が伴われる労働」は人間精神を破壊するのでしない

イケダハヤトさんのブログ「まだ東京で消耗してるの?」より

 

これわかります。
本当は自社商品を勧めないといけないけど、そのお客さんには他者製品の方が合っているってとき、苦痛ですよね。

 

この例をスキー界でいうと、こうなります。A社に勤めているZさんを例にします。
メーカーの営業の人って、時期によってはスキーショップに立って販売したりするんです。

それでお客さんにスキー用具の購入に対してアドバイスするわけですが、Zさんは本来A社の製品を勧めるべきところなんですが、お客さんの要望・志向を聞くと、B社の製品の方が合っていました。
このときに、Zさんは最終的にはどっちの商品を売ればいいのか!?!?っていう問題

これ困りますよね。お客さんは店員さんの立場なんて知りまんからね。(本当は自社のストラップ首からさげてるのでよく見ればわかります)
Zさんの性格・立場とかによってアドバイスは異なってくると思いますが、どっちを進めても「これでいいのか?」って思ってしまうかもしれません。

現場を見てると、実際は他者の製品も関係なく販売しているように見えます。特別自社製品ゴリ押しって人は少ないと思います。

 

関連記事:SIEGER(ジーガー)にだまされずに、自分にあったスキー道具を選ぶ方法

↑の記事はメーカーのしがらみ関係を書いています。

実際、企業に勤めていたら、「罪悪感が伴われる労働」っていたるところにありそうです。

 

私は以やっていた仕事で、「これ誰かの役になっているの?」っていつも思いながら働いていました。誰にも役に立っていなさそうで、決められているから仕方なくやっているだけ、やらなくてもそうそう問題は発生しないだろうって仕事でした。(そのように感じていました。)

罪悪感とはちょっと違う気がしますが、必要性を感じられない仕事をして給料をお貰っている点では罪悪感がありました。

 

また税金を使う仕事をしていた時は、「これここまで税金使う必要ないでしょ」って思うことがしょっちゅうでした。結局ここに税金使うって決めちゃったから、後になってやっぱりここには予算使わない!っとはならないんです。
はたから見たら、私はただの税金泥棒ですよ。そう疑われても否定できないですよ。国民の皆さま、すみません。

 

こういう仕事って人間の心を傷つけると思います。「罪悪感が伴われる仕事」は心を破壊します。そんな仕事なんてやめて正解だったと今でも思っています。

 

 

わたしは今自由に書きたいことをこのブログに書いていますが、書きたいことを書けるっていいことですよね。

そして書きたくないことは書かない、売りたくない商品は紹介しない。

こう考えると、ブログを書くことって幸せなことなのかもしれません。そして書いていったものが蓄積されれば、それは資産になるんです。

 

そんなこんなで、自由に書けるこのブログは今後も変わらず続けていきますので、
今後もよろしくお願いします。

スノダノブユキ